父の遺言書

父は88歳の時、長い間わずらった肺気腫がもとで、最後は苦しみながら病院で息を引き取りました。

存命中、父は遺言書を書いてあると子供に伝えていましたので、なくなって一段落したころ、

5人兄弟の次男坊で親父の遺言を忠実に実行できることを自認していた私が

金庫から遺言状を取り出して、その内容をほかの4人の兄弟に伝えました。

 

我々5人の中では、3男になる私の弟が、

田舎から貧しい一家を率いて東京に移り住んできたばかりの父を経済的に支援するため、

若いころから全日制の高校にも進まず献身的に働いていたのを知っていましたので、

父が3男に手厚い財産の分け前を遺言するだろうと思っていましたが、はたしてその通りでした。

 

家を3男に譲ること、金銭的遺産の半分は3男にゆくようにとなっていました。

残った財産は兄弟4人で分けるようにとのことでしたが、ほとんど外国で過ごし、

たまに帰国した時でさえあまり実家に寄り付くことのなかった5男だけは少し差をつけて、

このようにするように、ということが具体的に指示されていました。

 

戦後を、母の郷里である田舎で古物商などしながら子供を育て、

子供の教育のためにということで昭和30年代の初めに東京へ戻ってきた父には

それほどの稼ぎもあるようには見えませんでしたが、

ほとんど趣味もなく仕事一筋で一生を送った父は子供のためにと骨身を削って貯金をしたのでしょうか、

我々には少し驚くような額の財産を貯めていました。

私は貯金を寄せ集めて全額を把握した後で、父の指示に従って5人のそれぞれの取り分を計算し、

その額をそれぞれに振込みました。

兄弟からは何の異論もありませんでした。

 

よく相続は争続だというようなことを最近耳にしますが、我々にはまったく無縁の話でした。

一つには皆で争うほどの財産があるわけではないからという見方もできます。

しかしそれだけでもないと思っています。

父は遺言書の中で、子供は皆かわいいけど、これこれの理由で差別をすると述べ、

その理由を具体的に書いてありましたし、そのことについて異論を挟む子供はいませんでした。

遺言書の中で父が明確に指示をしていたことがだれも文句を言えない最大の理由であったと思います。

 

もう一つは私のやることがほかの兄弟に信頼されていたからだと思います。

父に似て几帳面な私はすべてのことをオープンにし、決して我田引水にならないようにと心がけました。

自分の経験から、遺産争続にならないようにするためには遺言書で明確な指示がだされること、

そしてそれを信頼置ける者に実行させることが大事だという信念を持つようになりました。

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